まっすぐ生きたい!~ゲイでアスペルガーで教師として生きる~

ゲイでアスペルガーで教師をしています。現場ではアウトサイダー!だけどあえてやる!はぐれものはどうやって生きて行くのか。とりとめのない日々を記して、見つけたいです。

セクマイ研修と当事者の生徒

セクシュアルマイノリティに対して最近日本が大きく動き始めている。(バックラッシュを容易に想像出来るが、それもまた考える流れのなかでは大切だと思う。)
かなりのコンサバで排他的かなと感じるうちの職場でもセクシュアルマイノリティに対する理解推進などと聞く訳で、ほとんど日本全土を巻き込んだ動きだろう。

僕自身が思うところでは、セクシュアルマイノリティ(lgbtと小さなカテゴリではなく)当事者による、教員に向けての研修は必要だと考えている。
今回退職する訳だから、最後にカミングアウトでもして、セクシュアルマイノリティについて何かをお伝えして出ていきたいとも考えていた。
専門の研究者や団体に来て貰うよりも、ないと思っていた場所から突然、湧いて出る方がよりリアリティがあって切実な問題として受け取って貰えるのではないかと思ったからだ。
ゲイやレズビアンなんて、居てもほとんど素性を隠して不可視な訳なんだし、テレビや本、講演会に登場する昔からオープンな方たちよりもずっと、良い意味での攻撃力やパフォーマンス力があって、専門的知識うんぬんということより、リアルな生き方を提示出来るはずではないかと思う。

普段の生活で息を潜めて潜伏しているセクシュアルマイノリティの生徒。
不可視でも必ず居る訳だから、居るという前提で話をするべきだし、いないと思っていた場所に居たという経験は大いに役立つはず。

大人になれば、嫌なことも受け流せるが、まだ幼くて未熟な生徒たちを、知らぬまにでも傷つけてしまうことは、間違えているし、どうにかしなければならないこと。
昔はそんな事を気にしなくてもよかったと言われたとしても、その間にそのような子達は知らぬまに姿を消していただけ。高校1年生から高校3年生のたった3年間の間に子供は、周りとのセクシュアリティの違いを自覚し、心を病んで不登校になったり、第一回目の自死の可能性もこの時期にある。気にしなくてよかった、別に配慮なんて不要という言葉の中には何万という可能性があった訳で、日本や世界に対して大切な力を持った子達がいたのだろう。なんだか悲しい現実ですが、まずは生徒の大切な時期を預かる教員から良い方向に目を向けて頂きたいし、そんな可能性を救うために、僕も自分に出来ることに使命感を持って働きたいと思っているのです。

最後のカミングアウトは叶わなかったとしても何かを残して行きたいところです。