まっすぐ生きたい!~ゲイでアスペルガーで教師として生きる~

ゲイでアスペルガーで教師をしています。現場ではアウトサイダー!だけどあえてやる!はぐれものはどうやって生きて行くのか。とりとめのない日々を記して、見つけたいです。

経緯/ターニングポイント

 現在、教員歴は2年目でまだまだのひよっこですが、今年3月で現在職場を退職し、4月より京都の高校で勤務することとなっています。

 現在の職場は北海道ですが、それまでは学生として、そして表現者としてお金儲けはできずとも、それなりにやってきましたし、知名度も地方では得ていました。(大学院のときはお年寄り向けの絵画教室を運営、指導していたこともありました)が、ふとしたきっかけで現在の職場で美術を教えることとなったのです。

 表現者としては自分の持っている特性はとくに障壁であるものではなく、他の人には見えない世界を見てきた訳で(逆差別的にとらえられたらすみません)、かえって武器になるようなものでした。創作する以上は主体や主導権が必ず自分にありますし、こんな自分でもほどほどに上手くはやれていた訳です。しかし、一度教育現場に足を踏み入れると様子はまるで違いました。自分のアイデンティティを語る以前に(隠していてもぽろぽろとこぼれ出すのか)、僕の独特といわれる語り口や挙動もあってか、1年も経たないうちに変人という烙印は押されました。今は治まりましたが一時は、僕のしゃべり方の真似が、先輩方の間でちょっとしたブームにもなっていました。授業などで触れ合う生徒は慕ってくれるのですが、特に接点のない生徒からは変だからか馬鹿にされるなんてこともありました。教員としてや大人としてではなく、口にせずとも、プライドはずたずたになりました。

 今までは表現者という特異なコミュニティのなかに居て守られていた訳ですが、一歩外に出てしまえば異質な変人であって、日本人として社会でどのように生きていくのか、スタンダードな生き方を提案し教える教員という仕事においては、それは宇宙から飛来した謎めいた物体のように、いじりがいのある異質なものなのです。

 「いじめ」では、異質な他者を作り、自分たちのコミュニティの存在や持つ言葉を優位付けるために、スケープゴートという心理が働きます。まさしくホロコースト。なるべくして僕は、「いじり」や「愛され」という名目でスケープゴート渦中にいた訳です。人と違うということが、社会のなか、マジョリティのなか、教育のなかでどのようなものか痛いほど理解できた2年間でした。

 

 担当している教科は5教科ではなく、実技教科、いかにも僕のような属性を持つものにぴったりな(これまでの話でわかりますが)、美術科です。美術を教えることで成し遂げたい目標もありますが、それよりも教育現場で働けるからこそは、同じような属性を持つ子たちに同じような思いをさせたくない(ゲイであれば思春期につらいことは必ず経験しているはずです)、生徒を少しでも救うことが出来れば、側に居て支えることが出来ればと、なんとも若者の情熱らしい目標をかなえるために教員の仕事を続けようという気持ちが強いです。

 普段触れ合いのない生徒からは小馬鹿にされることもまだありますが、授業では自分のそして美術科としてのスタンスや使命感をきちんと貫き行っています。慕ってくれている生徒がいることもわかりますし、ゲイですが、バレンタインデーにチョコレートをくれる女の子だっているのですよ。(職業上のタブーではなく、本気でごめんなさいと思うことが申し訳ないのですが)

 

 たった2年間、たった一つの職場で断言できることではないですが、なんとなく感じたことは(僕自身が人権教育などに積極的な職場で働いたことがないし、日本のなかでは周縁とも言える場所での出来事なので信用性はありませんが)

 

・現在の教育現場(教員全体としての意識)はやっぱりマイノリティに厳しいのではないだろうか=「いじめ」、「差別」は生徒がただ行っているのではなく、環境は教員が生産している

・だけども自分は変われないし、マイノリティだからを理由に教育現場で働くことを拒否されることは本来はないのだから、僕は僕のスタンスをもって、当事者として生徒と触れ合う必要がある。

・自分の言葉が話せないのなら、発言は薄っぺらなもの。クローゼットでは、同じような特性の生徒は救えない。=同じような生徒を救うためにはカミングアウトの必要性がある

ということです。

 

 現在の職場での退職も間近。自分としてどうやって働くのか、何を教えるのか、少しずつ掴めてきて、お別れに悲しさもこみ上げる今日この頃。新しい職場で、2年間抱いた思いを解消できれば本当はよいのですが、マイノリティとして教育現場で働くことがどのようなものかよく考え、社会や未来に対して責任を果たすべく、考え、発信し、働いていきたいです。

そのようなターニングポイントに、同じような悩みを抱える人や、僕らのような人に興味のある人と、情報を共有し、発信するためにブログを立ち上げました。

仕事のことだけではなく、ゲイでアスペルガーの「僕」としての日常を書き綴って行きたいです。

よろしくお願いします。